日記⑫で書いた通り、私はワイングラスを倒しながらも、なんとかCさん(仮名)に気持ちを伝え、正式にお付き合いすることになった。
あれから3週間ほど経つ。デートという「特別な日」を重ねてきたこれまでとは違い、今は「付き合っている二人の、ただの日常」を過ごすようになった。仕事終わりに軽くメッセージを送り合う。週末に近所を散歩する。特別な予定がなくても、自然に会話が続く。
「日常」というのは、こんなにも穏やかなものなのか。撃沈続きだった半年間からは想像もつかない、静かな幸せがそこにあった。
そんな矢先、Cさんからこう言われた。
「そういえば、〇〇さんのお部屋、まだ見たことないですね」
「今度、お邪魔してもいいですか?」に、二つ返事で応じた
正式に付き合い始めた二人にとって、これは自然な流れだった。
「もちろんです、ぜひ」と、私はその場で即答した。断る理由なんてどこにもない。むしろ、少し誇らしい気持ちすらあった。
「彼女が、俺の部屋に来る。」
53歳にして、この響きの新鮮さといったらなかった。日程は、その週の土曜日に決まった。
「まあ、大丈夫だろう」という、日記⑤とそっくりの油断
土曜日までの数日間、私は特に何も準備をしなかった。
正直に言う。ここに、すでに油断が始まっていた。
日記⑤で、2回目のデートのときに「もう大丈夫だろう」と油断して失敗した話を書いた。あのときの教訓は、ちゃんと覚えていたはずだった。でも今回は、少し違う理由で油断していた。
「もう付き合っているんだし、部屋くらい素のままでいいだろう。取り繕う必要もない」
そう思っていた。油断は、デートの場面だけでなく、日常のあらゆる場面に形を変えて現れるということに、このときの私はまだ気づいていなかった。
当日の朝、8年分の独り暮らしの実態と向き合うことになった
土曜日の朝、私は寝坊した。
Cさんが来るのは午後2時。起きたのは11時。「まあ3時間あれば余裕だろう」と、これもまた根拠のない自信だった。
リビングを見回して、初めて現実を直視した。
離婚してから8年。独り暮らしの部屋というのは、誰にも見せない前提で、どんどん「自分だけの合理性」で最適化されていく。読みかけの本が積まれたソファ。脱いだままのシャツがかかった椅子。郵便物とレシートが混在したテーブル。
そして何より問題だったのは、クローゼットだった。
クローゼットに、全てを押し込むという安易な発想
見せられない物をどうするか。答えは一つしかなかった。
クローゼットに、全部突っ込む。
洗濯していない服、資源ごみに出しそびれた段ボール、元妻との結婚生活の名残がまだ残っていた古いアルバム、そして数年前に一度使ったきり出しっぱなしだったキャンプ用品一式——。
リビングにあった「見せられないもの」を、片っ端からクローゼットの中に押し込んでいった。扉を閉めるとき、少し引っかかる感触があった。「まあ、閉まったからいいか」と、私はその違和感を見なかったことにした。
この「まあいいか」が、日記⑤の「若い子」発言、日記⑧の会計の迷い、日記⑪の送信ミスと、まったく同じ構造の油断だったことに、私はまだ気づいていなかった。
Cさんが来て、部屋を褒めてくれた矢先の出来事
2時ぴったりに、Cさんが来た。
「素敵なお部屋ですね、思ったより片付いてます」
その言葉に、私は内心ガッツポーズをしていた。作戦成功。
お茶を淹れ、ソファでたわいない話をした。いつもと変わらない、穏やかな時間だった。日記④のときのような緊張もなく、日記⑩で学んだ「余裕」も、自然と発揮できていた気がした。
事件が起きたのは、Cさんが「あ、上着ここに掛けてもいいですか?」と言って、クローゼットの扉に手をかけた、その瞬間だった。
扉が開いた瞬間、8年分がなだれ込んできた
「あ、それは——」
私が止める間もなかった。
引っかかっていた扉が開いた瞬間、隙間なく押し込まれていた荷物が、雪崩のようにリビングへと流れ出した。段ボール、キャンプ用の折りたたみ椅子、そして——古いアルバムが、Cさんの足元でパサリと開いた。
時が止まった。
Cさんは、床に散らばったものを見下ろしたまま、しばらく動かなかった。私も動けなかった。日記⑫のワイングラスのときと同じ、いや、それ以上の沈黙だった。
気まずい沈黙を破ったのは、Cさんの笑い声だった
数秒後——いや、体感では数分——Cさんが、小さく吹き出した。
「……すごい荷物ですね」
そう言って、声を出して笑い始めた。私は慌ててアルバムを拾い上げながら、しどろもどろに説明した。
「すみません、実は今朝バタバタしていて、見せられないものを全部ここに……」
「なるほど、片付いて見えたのは、全部ここに集約されていたからなんですね」
図星をつかれて、私はただ苦笑いするしかなかった。
「取り繕わなくていいですよ」という言葉
散らかったものを一緒に片付けながら、Cさんがぽつりと言った。
「私、〇〇さんが完璧な部屋に住んでいるなんて、最初から期待してないですよ。むしろ、こういう生活感がある方が、なんか安心します」
その一言で、朝からの緊張が、すっと解けていくのがわかった。
「でも」とCさんは続けた。「今日みたいに、無理して隠そうとするのはやめてくださいね。付き合ってるんだから、多少散らかってても、それも含めて〇〇さんじゃないですか」
付き合っているからこそ、取り繕わなくていい。でも、取り繕わないことと、雑に扱うことは違う。日記⑤で学んだはずの教訓が、また新しい形で目の前に現れていた。
「彼氏になったから」で、手を抜いていいわけではなかった
その夜、一人になってから、今日のことを振り返った。
デートの段階では、あれほど場所選びに気を遣い、会話に気を配り、会計のタイミングまで練習していた。それなのに、正式に付き合い始めた途端、「もう見せる相手じゃない」と、日常の丁寧さをどこかに置いてきてしまっていた。
「彼氏になったから」は、手を抜いていい理由にはならない。むしろ、日常を共にする関係になったからこそ、丁寧さの向け先が「特別な日」から「なんでもない日」に変わっただけなのだと、ようやく気づいた。
撃沈は、付き合ってからも、形を変えて続いていく
日記①から数えて、8ヶ月とワイングラス一つ分。ようやく手に入れた「お付き合い」という日常にも、撃沈は変わらずついてきた。
でも今回の撃沈は、これまでとは少し違う手触りがあった。相手に断られる撃沈ではなく、二人で笑い合える撃沈。クローゼットから雪崩れ落ちた荷物を一緒に片付けながら、私たちは確かに、次のステージに進んでいた。
53歳、バツイチ、撃沈13回目。今回の教訓はシンプルだ。取り繕わなくていい関係だからこそ、丁寧さは手放さない。それが、日常を長く一緒に過ごしていくための、新しい心得になった。
次回の撃沈日記⑭では、初めて迎える「付き合って1ヶ月記念日」を、張り切って準備しようとして、また何かやらかす話を書く予定です。日常の中の撃沈は、まだまだ続く——続きをお楽しみに。