日記⑧で書いた通り、会計をしくじった。
「割り勘でいいですよ」という相手の言葉をそのまま受け取ってしまい、Cさんの返信の温度が少し下がった。あのとき財布をさっと出せていれば——と、何度も思い返した夜があった。
それから2週間後。Cさんから「そういえば、あのお店どうでしたか?」というメッセージが来た。
保留が、解けた。
やり取りが再開した。少しぎこちなかったが、また話せるようになった。そして3回目のデートの約束が取り付けられた。
会計問題から立て直せた。そのことが嬉しかった。
3回目は、少し違った雰囲気があった
待ち合わせ場所に現れたCさんは、前回より表情が柔らかかった。
1回目は緊張。2回目は少し慣れた感じ。3回目になると、お互いの雰囲気が少しわかってきている。「また来てくれた」という安心感が、最初の挨拶の自然さに出ていた気がした。
席についてから、気が緩んでいることに自分でも気づいた。
「うまくやらなければ」「印象よく見せなければ」という緊張が、以前より薄れていた。自然体で話せていた。それが嬉しかった。
話題は弾んだ。Cさんの仕事の近況、私の最近の出来事、共通の話題。笑いもあった。「3回来るとここまで話せるようになるんだな」と思いながら、食事を楽しんでいた。
問題は、食事の話題が出たときに起きた。
「私、そういうお店はあまり行かないんですよね」
会話の中で、私が最近行ったイタリアンのお店の話をした。一人5000円ほどのコース料理がある、少し落ち着いた感じのお店だ。
「雰囲気もよくて、デートにもちょうどいい感じで」と話したとき、Cさんが少し間を置いてから言った。
「私、そういうお店はあまり行かないんですよね」
笑顔だった。否定しているわけではなかった。でも私の中で、何かが引っかかった。
「どんなお店が好きですか?」と聞くと、「近所の定食屋とか、気取らないところが好きで。5000円も出すなら、もっと別のことに使いたいって感じがして」という答えが返ってきた。
「あ」と思った。
値段の話ではなく、価値観の話だと気づくまで
最初は「節約志向の人なんだな」と思っていた。
でも話を聞くうちに、それは違うと気づいた。
Cさんは節約が好きなのではなく、「食事にお金をかけることに価値を感じない」という人だった。その分、旅行や趣味にはお金を惜しまない。何にお金を使うかの「優先順位」が、私とは違っていた。
私は食事が好きだ。美味しいものを食べること、少し特別な雰囲気のお店でゆっくり過ごすこと——それに価値を感じている。
Cさんは食事より体験にお金をかける人だった。「食べること」より「やること・行くこと」にお金を使う感覚。
どちらが正しいわけでも、どちらが贅沢なわけでもない。ただ、価値を置く場所が違っていた。
その違いに気づくまで、少し時間がかかった。
お互いの休日の過ごし方を話して、ズレが見えてきた
食事の話が一段落したあと、なんとなく休日の過ごし方の話になった。
私の休日:近所のカフェで読書、気になっていたお店でランチ、夕方から映画。静かに、ゆっくり過ごすのが好きだ。
Cさんの休日:朝から山に登る、帰りに温泉、夕方には疲れ果てて早めに寝る。アクティブに動き回ることが充実感につながるらしい。
「それは健康的ですね」と言いながら、私は心の中で少し考えていた。
一緒に休日を過ごすとしたら、どうなるだろう。私は静かなお店でゆっくりしたい。Cさんは体を動かしたい。私は食事にお金をかけたい。Cさんは体験にお金をかけたい。
「毎回、どちらかが合わせることになる」という絵が、頭の中に浮かんだ。
「好きだけど、一緒にいると疲れるかもしれない」
帰り道、電車の中でぼんやりと考えた。
Cさんのことは好きだ。話しやすい。一緒にいて楽しい。笑いがある。それは変わっていない。
でも今日気づいたズレを思うと、「ずっと一緒にいられるか」という問いに、すんなり答えが出なかった。
「好きだけど、一緒にいると疲れるかもしれない」という感覚が、初めて出てきた。
この感覚は正直、戸惑った。
好きなら一緒にいたい。一緒にいたいなら、多少のズレは乗り越えられる——若い頃ならそう思えたかもしれない。でも50代になると、「自分のスタイルを根本から変えられるか」という問いに、正直に答えてしまう。
そして答えは、「簡単には変えられない」だった。
それでも、すぐに諦めるのは違う気がした
家に帰ってビールを飲みながら、「次に誘っていいのだろうか」と考えた。
でも、すぐに諦めるのも違う気がした。
1回のズレで「合わない」と判断するのは早い。Cさんのことをまだ全部知っているわけではない。ライフスタイルの違いは、話し合えれば乗り越えられることもある。何より、3回会ってきてここまで積み重ねてきたものがある。
「少し違う」と「根本的に合わない」は別の話だ。
私が気になったのは、食事の予算感と休日の過ごし方だ。それは確かにズレている。でもそれ以外——話し方、笑いのツボ、物事への誠実さ——そういう部分は、むしろ合っている気がする。
ズレのある部分より、合っている部分のほうが多いなら、もう少し続けてみる価値があるかもしれない。
そう思って、ビールをもう一口飲んだ。
金銭感覚より「価値観の共鳴」の方が大事だと気づいた夜
その夜、少し整理して考えてみた。
「金銭感覚が合う」というのは、何に価値を感じてお金を使うかの感覚が近いということだ。でもそれは、価値観の一部でしかない。
Cさんとのズレは、「食事へのお金のかけ方」と「休日の過ごし方」だった。でもCさんと話していると、仕事への誠実さ、人への気遣い、話を聞く姿勢——そういうところに共鳴を感じることが多かった。
どちらのほうが大事か。
金銭感覚の一致か、価値観の共鳴か。
答えは人によって違うと思う。でも私の中では、「価値観の深い部分で共鳴できるなら、生活スタイルのズレは話し合いで調整できる」という気持ちのほうが強かった。
逆に、価値観の根っこが合わない人とは、どれだけ生活スタイルが合っていても、長続きしないと思う。
ズレを知った上で、どう向き合うか
翌日、Cさんに「また会いましょう」とメッセージを送った。
返信は比較的早く来た。「ぜひ」という一言と、絵文字が一つ。短いけれど、温度は下がっていなかった。
4回目のデートが、近づいている。
今度は、食事のお店選びも変えてみようと思っている。Cさんが「気取らない感じが好き」と言っていたから、普段の私なら選ばないような、気軽な定食屋に誘ってみようかと思っている。
相手に合わせすぎるのは長続きしない。でも、相手の感覚に一度合わせてみることで、見えてくるものがある。
ズレを知った上で、どう向き合うか。それが次のテーマだ。
53歳、バツイチ、9回目の撃沈(かどうかはまだわからないが)。まだ続いている。
次回の撃沈日記⑩では、4回目のデートと、Cさんとの関係がどこへ向かうのかについて書く予定です。ズレと向き合いながら、どこまで続けられるのか——続きをお楽しみに。